信玄芝原(しんげんしばら)
Shingenshibara park
Last update: 2021.2.23
信玄芝原(しんげんしばら)
永禄12年(1569)、武田信玄が小田原攻めの途中、戦勝祈願のため寒川神社に立ち寄った際に、兵を休めたところと伝えられています。
この時奉納されたと伝えられる、天文6年(1537)明珍房宗(みょうちんふさむね)作の六十二間筋兜(ろくじゅうにけんすじかぶと)は寒川神社に保存され、平成11年(1999)神奈川県指定重要文化財となりました。
寒川町教育委員会
永禄12年(1569)、武田信玄が小田原攻めの途中、戦勝祈願のため寒川神社に立ち寄った際に、兵を休めたところと伝えられています。
この時奉納されたと伝えられる、天文6年(1537)明珍房宗(みょうちんふさむね)作の六十二間筋兜(ろくじゅうにけんすじかぶと)は寒川神社に保存され、平成11年(1999)神奈川県指定重要文化財となりました。
寒川町教育委員会
『さむかわ大事典(『寒川町史』13 別編 事典・年表CD-ROM版)』の説明は次の通りです。
現在は寒川神社東の「信玄芝原公園」になっている。永禄11年(1568)に駿河(するが)国に侵攻した武田信玄は、さらに翌12年には武蔵国を経て、相模川を下って相模国小田原城下に向かった。北条勢が小田原城に籠城し防戦した結果、冬の到来を目前に引き退いた信玄は、帰陣の際に、寒川神社に立ち寄って武運長久を祈願し、筋兜を奉納したと伝えられる。現在この兜は寒川神社が所蔵し、平成11年(1999)に神奈川県指定重要文化財になった。(『町史11』p258)(『さむかわ大事典(『寒川町史』13 別編 事典・年表CD-ROM版)』より引用)
In October 1569, on the way back from the attack of Odawara-jo Castle by Shingen TAKEDA, he visited Samukawa-jinja Shrine.
At that time, Shingen's soldiers took a rest in Shingenshibara park.
At that time, Shingen's soldiers took a rest in Shingenshibara park.