根岸弁財天
Negishi Benzaiten
根岸弁財天由来
根岸弁天池は、寒川町のほぼ中央にあって、その発祥の年代は定かではないが、土地の古老より伝え聞くところによれば、天正年間というから、今から約500年前と推察される。
当時の湧き水の豊富なこの池は、これより下流新橋地区(現在の役場庁舎付近)までの水田の用水として永年利用されていた。
徳川の代に入り、元和6年(1616)より、このあたり宮山村1,177石を知行していた旗本杉浦正次氏により、池の整備と弁財天を造ったのが始まりと云うことで、以来、明治年代杉浦大八郎氏まで杉浦氏の下に在った。明治22年(1889)に石造りの社が建立された。昭和60年(1985)に寒川町より公園緑地として整備される機会に、有志合寄り、根岸町内住民を中心に昭和61年(1986)3月弁財天石像を建立して古き良き時代を忍びつつ、地域住民の連帯と協調の輪を広げるべく、ここに由来を記すものである。
昭和62年(1987)6月吉日
根岸弁財天保存会
祭神 弁財天
例祭日 4月初巳日
功徳
商売繁盛、学問・技芸・音楽の発達。又、女人には愛嬌を授け美人となり、良縁を得、子宝を授かる
根岸弁天池は、寒川町のほぼ中央にあって、その発祥の年代は定かではないが、土地の古老より伝え聞くところによれば、天正年間というから、今から約500年前と推察される。
当時の湧き水の豊富なこの池は、これより下流新橋地区(現在の役場庁舎付近)までの水田の用水として永年利用されていた。
徳川の代に入り、元和6年(1616)より、このあたり宮山村1,177石を知行していた旗本杉浦正次氏により、池の整備と弁財天を造ったのが始まりと云うことで、以来、明治年代杉浦大八郎氏まで杉浦氏の下に在った。明治22年(1889)に石造りの社が建立された。昭和60年(1985)に寒川町より公園緑地として整備される機会に、有志合寄り、根岸町内住民を中心に昭和61年(1986)3月弁財天石像を建立して古き良き時代を忍びつつ、地域住民の連帯と協調の輪を広げるべく、ここに由来を記すものである。
昭和62年(1987)6月吉日
根岸弁財天保存会
祭神 弁財天
例祭日 4月初巳日
功徳
商売繁盛、学問・技芸・音楽の発達。又、女人には愛嬌を授け美人となり、良縁を得、子宝を授かる