一之宮不動堂・大山街道
Ichinomiya Fudoudo, Ooyama Highway
一之宮不動堂
堂内の不動尊は、かつて大山詣でゆかりの不動尊である。
大山街道
江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース~東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる~この道であった。
堂内の不動尊は、かつて大山詣でゆかりの不動尊である。
大山街道
江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース~東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる~この道であった。
[参考]
大山道 田村通り (寒川町)
https://samukawa-k.jimdofree.com/ウォーキングコース/大山道-田村通り-寒川町/
江戸時代の大山道 歴史街道ものがたり 産業能率大学
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kyoudo_archives/ooyama/sanno_univ/know/oyamado/20120111_142714.html
大山講 歴史街道ものがたり 産業能率大学
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kyoudo_archives/ooyama/sanno_univ/know/history/20160217_182059.html
大山道 田村通り (寒川町)
https://samukawa-k.jimdofree.com/ウォーキングコース/大山道-田村通り-寒川町/
江戸時代の大山道 歴史街道ものがたり 産業能率大学
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kyoudo_archives/ooyama/sanno_univ/know/oyamado/20120111_142714.html
大山講 歴史街道ものがたり 産業能率大学
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kyoudo_archives/ooyama/sanno_univ/know/history/20160217_182059.html
河原不動尊
本尊は、不動明王と二体の眷属(けんぞく:お供の仏像)からなる不動三尊像です。不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦3年(1753)に江戸芝口(東京都港区)の初音屋平吉が修理した、との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。
お堂の前にある力石や道標も江戸の人達が、230年頃前に奉納したものです。このようにこの不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参拝が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。 「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。また、同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」とも記されていますが、詳細は定かではありません。 平成19年(2007)12月 (一之宮河原地区住民による) 不動尊維持管理会 |
一之宮不動堂前の道(県道47号、大山街道田村通り)は歩道がなく、車の通行量が多いです。歩く時は車に注意して歩いて下さい。