越の山横穴墓群
Koshinoyama Ouketsubogun (Koshinoyama tunnel tombs)
厚い関東ローム層が侵食されてできた小出川の谷に面する斜面につくられた墓群である。
昭和28年(1953)8月、赤星直忠氏による発掘調査で丘腹中程に6基発見された。
また、昭和60年(1985)12月、3基の横穴が、ここより南側約200mのところに出土したことから、1kmに及ぶ斜面一帯に墓が分布する可能性が強くなった。この墓は膨張アーチ型横穴とよばれ、7世紀代のものと推定される。
昭和28年(1953)の調査で出土した、直刀、耳輪、刀子、勾玉等は町民センターに展示されている。
寒川町教育委員会
昭和28年(1953)8月、赤星直忠氏による発掘調査で丘腹中程に6基発見された。
また、昭和60年(1985)12月、3基の横穴が、ここより南側約200mのところに出土したことから、1kmに及ぶ斜面一帯に墓が分布する可能性が強くなった。この墓は膨張アーチ型横穴とよばれ、7世紀代のものと推定される。
昭和28年(1953)の調査で出土した、直刀、耳輪、刀子、勾玉等は町民センターに展示されている。
寒川町教育委員会
越の山横穴墓群(こしのやまおうけつぼぐん)
厚い関東ローム層が侵食されてできた小出川の谷に面する斜面につくられた墓群である。
昭和28年(1953)8月、赤星直忠氏による発掘調査でここより北側200mの丘陵中程に6基発見された。
また、昭和60年(1985)12月の調査により、この3基の甌穴が出土したことから、1kmに及ぶ斜面一帯に墓が分布する可能性が強くなった。この墓は膨張アーチ型横穴とよばれ、7世紀代のものと推定される。
昭和28年(1953)の調査で出土した、直刀、耳輪、刀子、勾玉等は町民センターに展示されている。
寒川町教育委員会
厚い関東ローム層が侵食されてできた小出川の谷に面する斜面につくられた墓群である。
昭和28年(1953)8月、赤星直忠氏による発掘調査でここより北側200mの丘陵中程に6基発見された。
また、昭和60年(1985)12月の調査により、この3基の甌穴が出土したことから、1kmに及ぶ斜面一帯に墓が分布する可能性が強くなった。この墓は膨張アーチ型横穴とよばれ、7世紀代のものと推定される。
昭和28年(1953)の調査で出土した、直刀、耳輪、刀子、勾玉等は町民センターに展示されている。
寒川町教育委員会
[参考]
越の山横穴墓群 / (寒川町)ホーム>町政>文化財>電子資料館>埋蔵文化財
http://www.town.samukawa.kanagawa.jp/chosei/bunkazai/shiryoukan/maizou/1361237807308.html
赤星直忠博士文化財資料館(宇内建設ビル内)
https://unai-kensetsu.e-yokosuka.jp/contents1.html
越の山横穴墓群 / (寒川町)ホーム>町政>文化財>電子資料館>埋蔵文化財
http://www.town.samukawa.kanagawa.jp/chosei/bunkazai/shiryoukan/maizou/1361237807308.html
赤星直忠博士文化財資料館(宇内建設ビル内)
https://unai-kensetsu.e-yokosuka.jp/contents1.html