倉見才戸遺跡
Kurami-Saito Ruins
平成3(1991)年、社宅の建替え工事にともない発掘調査がされ、平成5(1993)年に範囲確認調査、さらに平成6(1994)年、平成11(1999)年にも住宅開発にともない発掘調査がおこなわれました。
調査の結果、一番古いものは今から5,000年ほど昔の縄文土器が発見されています。
弥生時代はこの遺跡の中心の時代で、中期から後期(3~4世紀ごろ)の竪穴住居址が40軒以上も発見されました。なかでも中期の3軒は普通の住居より大型な住居で、県内でもこれほど大きい住居はめずらしいものです。環濠といった村のまわりをぐるっとめぐらせた溝も発見されました。その他、有角石斧(せきふ)や、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、鉄器といっためずらしいものも出土しました。東海地方や東京湾岸方面に影響を受けた土器等も出土し、当時の交易関係が伺えます。
古墳時代の竪穴住居址や平安時代の住居址や井戸址や掘建穴柱建物址(ほったてあなばしらたてものあと)、溝址なども発見されました。さらに中~近世の溝址や土坑(どこう)も発見されています。
このように、倉見才戸遺跡は過去から現在にいたるまで、絶え間なく生活が営まれてきた場所ということができるでしょう。
なお、出土した土器等は文化財学習センター(一之宮小学校内)で見ることができます。
平成14(2002)年3月 寒川町教育委員会
調査の結果、一番古いものは今から5,000年ほど昔の縄文土器が発見されています。
弥生時代はこの遺跡の中心の時代で、中期から後期(3~4世紀ごろ)の竪穴住居址が40軒以上も発見されました。なかでも中期の3軒は普通の住居より大型な住居で、県内でもこれほど大きい住居はめずらしいものです。環濠といった村のまわりをぐるっとめぐらせた溝も発見されました。その他、有角石斧(せきふ)や、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、鉄器といっためずらしいものも出土しました。東海地方や東京湾岸方面に影響を受けた土器等も出土し、当時の交易関係が伺えます。
古墳時代の竪穴住居址や平安時代の住居址や井戸址や掘建穴柱建物址(ほったてあなばしらたてものあと)、溝址なども発見されました。さらに中~近世の溝址や土坑(どこう)も発見されています。
このように、倉見才戸遺跡は過去から現在にいたるまで、絶え間なく生活が営まれてきた場所ということができるでしょう。
なお、出土した土器等は文化財学習センター(一之宮小学校内)で見ることができます。
平成14(2002)年3月 寒川町教育委員会