中州稲荷
Nakasu Inari (A god of harvests in the sandbank on the Sagami-gawa River)
・地蔵尊立像(子育て) 右 江戸時代 (□保五年)
かつては、相模川の河原にあったといわれてます。その後、交通安全を願い、この地に移されました。そうしたところ、子宝に恵まれ家が出て、子育て地蔵と呼ぶようになりました。
・中州稲荷 中央
かつては、相模川の中洲にあったものを、この地に移してきたため「中洲稲荷」といわれています。
・地神塔 左 江戸時代(天保7年・1836)
地神講とは百姓の神、稲を持ってきた神といわれる「地神」を信仰する人々の講組織です。春と秋の社日に床の間に三幅の掛軸を掛け、かつては中里38軒の農家で行われていました。
・庚申塔 入り口左 江戸時代 (天保7年・1836)
平成8年(1996)3月 寒川町教育委員会
かつては、相模川の河原にあったといわれてます。その後、交通安全を願い、この地に移されました。そうしたところ、子宝に恵まれ家が出て、子育て地蔵と呼ぶようになりました。
・中州稲荷 中央
かつては、相模川の中洲にあったものを、この地に移してきたため「中洲稲荷」といわれています。
・地神塔 左 江戸時代(天保7年・1836)
地神講とは百姓の神、稲を持ってきた神といわれる「地神」を信仰する人々の講組織です。春と秋の社日に床の間に三幅の掛軸を掛け、かつては中里38軒の農家で行われていました。
・庚申塔 入り口左 江戸時代 (天保7年・1836)
平成8年(1996)3月 寒川町教育委員会
This Inari Shrine used to be on a sandbank of the Sagami River. This Inari Shrine, which had been moved to this location, is called "Nakasu Inari", which represents its former location.